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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 果因説 - 意識の転換で未来は変わる

神人の聖域― 原因結果の法則と果因説
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神人誕生は決して偶然の結果ではありません。それぞれが人知れぬところでどれだけ自らを切磋琢磨し、努力を積み重ねてきたかの証です。その第一が常識や固定観念を覆すということでした。それには強い固い信念が必要でした。時には疑い、時には迷い、時には諦め、時には辞めたくなる誘惑にも屈せず、コツコツ一つ一つの究極の真理を実行しつづけてきた結果です。この努力なしには神人達成はありません。
なぜなら一般常識に従って固定観念に把われている人々には、真理の何たるかが死ぬまで判らないからです。また死んだ後も永遠に判らないのです。同じ過ちを繰り返す輪廻転生により不幸な人生が創り上げられてゆくからです。
常識とは、この世から争いをなくし、正しい生き方を奨励し、人に迷惑をかけず、平和な世界、生き方が築かれるよう真理から編み出されたものではなく、あくまでも人間が創り出した真理からブレた道徳心です。道徳心は決して悪いものではありませんが、道徳には神のみ心が入っていません。物質的世の中にふさわしい物質的生き方が説かれているのです。そのため究極の神人に至るまでには導けないのです。
真理であれ、常識であれ、固定観念であれ、それらに共通する絶対なる法則は「原因結果の法則」です。卑しい恥ずべき行為、盗み、人殺し……等を行なった結果として、絶望、苦難、悲惨、孤立、不幸な人生が現われてくるのです。人類はみな等しく、かつまた誰一人の例外なく原因結果の法則を生き切っているのです。
我々は自らの想いによって自らを尊び、喜びと幸せと至福に満ちた愛と慈しみの人生を創り上げることも出来れば、自らを卑下し、侮蔑し、自己批判し、破壊し尽くしてしまうほどの人生をも創り出してゆくことが出来るのです。
我々は自らの否定的想念という武器により、自らを破壊するための兵器を創り出すこ
とも出来れば、自らの究極の真理により、自らを気高く崇高にして神のような神々しい
究極の人間に高め上げることも出来るのです。

“日頃何を思っているか”が果因説の要
最後に、原因結果の法則に基づいて果因説の生き方を説いてみたいと思います。
果因説とは、過去の因縁や束縛、そして悪習慣、否定的な思考から脱した、全く輝かしい思考から生まれてくる生き方です。
まず原因結果の法則は誰もが知っているように、心という想いの工場で人生が築かれ、創られてゆきます。例えば悪い否定的な想いを抱いている人は、自らの想いの工場で否定的な人生が創られ、築かれてゆきます。自らの心に湧き起こる人に対する憎悪の想い、不安恐怖の想い、人を差別する想い……こういう心の産物を人の心はいとも簡単に創り出していってしまうのです。それはなぜか?長い間の悪習慣によるものです。そのまま心を放っておくと、どんどんネガティブなエネルギーによって、そのネガティブなイメージに力を与えつづけ、無限に広がってゆきます。そのネガティブな想いをとどめることは自分しか出来ないのです。誰も人の心の中までは入ってゆけないし、そのような権利もありません。自分のみが自分の心の主人です。
自らが自らに発するネガティブな思考に打ち克ち、そのネガティブなイメージを消さないかぎり、いつか必ず自分の人生の中にそのネガティブなイメージ通りの現実が降りてきます。そこで嘆き悲しんでも、人を恨んでも、憎んでも、決して解決はありません。あくまでも責任は決して他にはないのです。自分以外の何ものにもないのです。
このような悪循環を繰り返さないためにも、決して真理に対して無知であってはならないのです。そのために人は自らの不幸や苦しみ、悲しみ、痛みを通して初めて真理に気づいてゆくのです。



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