| 第一部、孫陀利姫(そんだりひめ)と摩須羅(ますら) |
あの世尊の言葉はすべていつわりであったのだろうか?
『仏を信じ、仏の教を疑わざるものはすべて救われるのである』とは世尊も常にいわれ、代講者として何度びも来られた阿難の言葉にもあった筈である。父王も深くその言葉を信じられ、世尊のみ教の通りの行いを政治行政にも個人の行いにも行じつづけられ、遂いには、遂いにはーーとここ迄思い到った時、脳裡から阿難や釈尊への想いが一瞬に断ち切られて、姫の心は烈しい衝撃で、くらくらと目まいするように、父王の最期(さいご)という事実にぶつかっていた。今何気なく聞き過ごしてしまった摩須羅の言葉が改めて、はっきりと彼女の心に動かし難い言葉として、彼女のすべてを引き裂くように、凄まじい轟音としてひびきわたった。
「摩須羅、父上は亡くなられたのねーーお城は亡びたのねーー」
姫はつぶやくように、うわ言のようにそういうと、くたくたと草の上に倒れ伏してしまった。姫は再び気を失っていったのである。摩須羅は驚いて姫の傍にかがみ込んだが、また前のように横抱きに姫を抱きかかえると、大股で歩き出していた。
彼は明日からの希望で心がはずんでいた。姫は自分の他に頼りにする何者もない境界になってしまったのである。ーー阿難がなんだ、釈迦がなんだ、あんな勿体ぶった説教でこの姫を救えるか。救えるどころか、姫の父王を殺し、国を滅亡させたのは彼奴(あいつ)らの勿体ぶったあの天上的説教なのだ。今にみていろ、彼奴らの僧団をこの腕で叩きつぶしてみせる。姫にしても裏切ったも同然な阿難ごときにいつ迄執心(しゅうしん)してもおるまい。まあいい、明日から我が働きがすべてを解決するのだーー
摩須羅の脚は、躍る心につれて飛ぶように走り出していた。月はますます明るく冴えわたっていた。
|
|
 |
| 立ち読みコーナー |
他の本も、立ち読みできるものがあります。
リンクを集めたインデックスもご覧ください。
> 立ち読みインデックス |
|