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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 小説 阿難(あなん)

第一部、孫陀利姫(そんだりひめ)と摩須羅(ますら)
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摩須羅には神もない。仏もない。ただ自己の欲望を遂げるための、がむしゃらな突進力だけがある。自己の実力だけがある。強くなること、それだけが、彼の地位を高め、欲望を充足させる。彼は一歩一歩前進した。彼は遂いに武士の最高統率者となった。彼はこの国になくてはならぬ人物になろうと固く決意した。そうして王に彼の願望を願い出でるのだ。もう一歩進めば、国政を左右出来得る大臣になり得る。そうなれば姫を申し受ける資格がつく。否(いな)、男子のいない国王の跡目をも同時に継ぎ得る。しかしここ二、三年、急にその望みが薄れかかってきた。それは、釈迦やその弟子達の仏教思想の移入によってなのである。
恨みに恨みをもってしてはならぬ。武器に武器をもってしてはならぬ。恨みを持ってすれば、恨みをもってむくいられ、武器をもってすれば、再び武器をもって返される、そうしたことを繰返していては永劫(えいごう)に人間は救われぬ者となってしまう、という因縁因果の説教に阿育王はすっかり心酔してしまったのである。それ以来、この国の政治は、武より文に、闘争から調和主義に一転していった。それにつれて、摩須羅のような武将より、文、芸の人達が重く用いられるようになっていった。摩須羅の願望は、今一歩のところでほとんど挫折した形になっていった。
摩須羅の忿懣は、王やその重臣達に向けられ、それと同時により強く釈迦やその弟子達にむけられていた。彼の心は謀叛(むほん)一歩手前の危いところに僅かに踏み止まっていた。それは孫陀利姫への愛念であった。しかし、すべては意外なところで急激に一転してしまった。彼と同じように前途の希望を失った武士の一人の裏切りによる敵国の侵略であった。
結果は、無抵抗主義をとった、阿育王側の惨敗であった。
「馬鹿な奴らだ!」
摩須羅は、姫の横顔をみつめながら、今迄の事柄が、すべて夢の中のことのように思えて来た。王や重臣たちの馬鹿さかげんにも、もう腹が立たなくなっていた。
「俺には、これから広い天地がある。無抵抗などという彼らの馬鹿なやり方が、かえって俺には幸いした。眼の前には、ふれればいつでもふれられる花がある。いつ落そうと自分の自由な花が、静かに咲いている」
彼は今歓喜の絶頂にあった。自分の腕には自信があった。何処の国へ行っても、自分程の武将は大事にされるにきまっている。それにもましてーーと独りぎめの喜悦を叩き割るように、突然、柔かい甘い声が姫の唇から流れ出た。


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