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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 天と地をつなぐ者

少年期、 (一)
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私の少年時代からの興味は、小説を読むことと、歌をうたうことであった。学校でも作文と唱歌は得意な科目で、読本の朗読なども校長にまでよくほめられたものである。
私がひところ音楽家になったのもその頃からのつながりであったのであろう。
私は蒼白い細い顔と肩のとがった扁平胸の、背丈の低い子であったが、人には陰気な感じを与えなかった。それは私が人なつこく、つねに明るい微笑をたたえていたからである。私は人に悪い感じを与えることが非常に嫌いであった。人の気持を傷つけたり、不快にしたりすることのないように極度に神経をつかっていたようであるが、それが遂に習性(ならいせい)となって自然と人の心を察し、巧まずして人の心を傷つけぬ態度や、言葉づかいができるようになっていった。
人を傷(いた)めて自分が得をするなら人を傷めず自分が損をしたほうがよい、と理屈ではなく自然にそう思っていた。
関東大震災の後で、一物も残さず焼け出された私たち一家は、着たっきりの姿で急造のバラックに住んでいた。ある日学校で各地からの罹災者への見舞品が配給された。見舞品の中では衣類が一番大切なものであった。しかし、衣類は全部の生徒に配りきるだけの量はなかった。そこで先生は、「今着ているものの他に着る衣類のない者は手をあげよ」といった。ほとんど全部が手を上げたが、私と二、三のものは手を上げなかった。私はその時着ていたシャツの他に、一枚田舎からもらった着物があるのを知っていたから手を上げなかったのであった。私はもらえぬのがあたり前と思って家に帰ってきた。その日は各学校で配給があったらしく、兄たちはみな、衣類をもらってきていた。
母は私が手ぶらで帰ったのをみて、
「お前のところでは着物の配給なかったの」と聞く。
「あったけれども、僕は家に一枚あるからもらってこなかった」と配給の様子を話すと、母は、
「あきれたねえこの子は、折角もらえたものを、惜しいことを、本当に馬鹿だね」と本当にあきれ顔をして私をみつめた。
そういわれると私は急に自分が馬鹿なように思われてきた。手を上げたものは全部配給をもらって帰ったのを知っている。その中に随分金持の息子もまじっていたのにーー私はすっかりやるせない気持になって、母の前で首うなだれてしまった。重ねて母にいわれたら、泣き出してしまうところだった。


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