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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 聖書講義

太初(はじめ)に言(ことぱ)あり
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なんにしても、人間がこの世の暗黒に想いをむけていてはいけないので、光明世界に想念を入れきってしまうよう努力をしなければ、天のみ心を地に現わすことはできないのであります。
光というのは、肉眼に感じられる物質波動に近い光子と、私たちが宇宙子と呼んでいる生命波動、霊波動的光とがありまして、どちらも万物の存在になくてはならぬものなのです。
イエスがベツレヘムの厩(うまや)で生れた時、東方から三人の博土が、救世主になるべき子供が生れたところを尋ね歩き、星の動きに導かれて、ついにイエスの生れた厩を尋ねあてて、捧げものをする、というところがありますが、この星の導きというのも、イエス自身の霊光と、星の光との波長が合い、その光波を感じることのできた博士たちが、イエスを探しあてたわけなので、なんともいえない劇的な神のみ心が感じられます。
一人の人間が、この地上界に誕生することは、天にある光の分生命として生れてくるのでありまして、常に天地の光が交流し合って、この世の天命を完うしてゆくのでありますが、ふつうの人はこういうことを知りませんで、天と離れて肉体が地上界にぽつんとあるように想って、肉体人間としての自分勝手な生活をしているわけです。
ですから、天の光がその肉体とうまく交流できませんで、この世を汚してゆくことになってしまうのです。ところが、イエスのような天の使は生れながら、天地の交流がすっきりといっておりまして、肉体身をもちながら、光り輝いていたのであります。イエスの生涯は、この世的にみれば、涙なくてはいられぬほど、美しくも悲しき生涯でした。しかしイエスのみ魂は、天地を貫いて輝きわたっていた光明波動そのものだったのです。


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