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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 聖書講義

太初(はじめ)に言(ことぱ)あり
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さて、そういうことはよいとして、この意味の解釈にうつりましょう。
太初(はじめ)に言(ことば)あり、という、この言(ことば)とはどういう意味なのでありましょうか。私たち人間が使っている肉体の声帯を振動させて出てくる言葉とは、深さが違っていることはわかります。しかも言(ことば)は神と倶(とも)にある言(ことば)であり、神そのものでもある言(ことば)なのであります。そして、この言(ことぱ)によらないで成ったものは、万物のうちに一つもないのであり、人の光である生命(いのち)をこの言(ことぱ)はもっているというのです。
さあ、この言(ことば)とはいったい何を現わしているのでしょう。一口にいってしまえば、波動のことなのであり、ひびきのことなのであります。この波動(ひびき)は生命そのもののひびきであり、光の波動なのであります。ですからこの言(ことば)は、太初(はじめ)に神とともにあった。つまり、唯一絶対なる宇宙神が、創造活動をはじめられて、光の振動をはじめられるまで、神のみ心の中で静止していたのでありますが、宇宙神の創造活動とともに、言(ことば)となって諸方にひびいていったのです。それは生命のひびきであり、光の波動でもあったわけです。
そういう生命(せいめい)波動、光のひびき、いわゆる言(ことぱ)が宇宙創造を成し遂(と)げていったのであり、現在も成し遂げつつあるのであります。
旧約の創世記の「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり」も、やはりこの言(ことば)によって成ったのであり、すべては神の言(ことば)によってつくられていったのであります。神の言は生命であり、光でありますから、神光あれ、といえば光があり、生命あり、といえば生命があるわけなので、宇宙神は創造主であり、創造の方法が、言(ことば)即ち、生命波動、光の波動(ひびき)によってなされていったわけなのです。人間の使っているのは、言(ことぱ)ではなくて、言葉(ことば)なのでありまして、言(ことぱ)を根元にして、そこから枝葉として分れてきたひびきなのです。ですから、神のみ心と一つになって話せば、その言葉(ことぱ)はもはや枝葉の言葉(ことぱ)ではなく、神の言(ことば)としての権能をもつのであります。
そこで人間が、肉体頭脳に蓄えられている言葉だけをつかって、この世の生活をしているだけでは、人間の進化はあり得ないのでありますから、神は時代時代によって、神の言(ことば)をそのまま伝え得る人びとを、この地上界に遣わしているのであります。それが釈尊であり、イエス・キリストであり、老子でもあるわけです。


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