| 第六講: 上善は水の若(ごと)し・・・道徳経第八章 |
自分の行為が正しくて、相手の行為が悪いのだから、自分が怒るのは当然だというような場合が随分ありますが、私のようにその人その人の過去世からの想念所業の判るものからみれば、その時には、確かにその人の方が正しく、相手方が百%悪いとしても、過去世からのお互いのやりとりを通算してみれば、正しいと思っている方にも、悪いところが沢山あったので、相手方がその人に悪く当ってくる理由も随分とあるわけなのです。
個人同志のやりとりも、国家や民族同志の争いなどでも、その場その時だけのものではなく、過去或いは過去世の歴史的な諸事情の下に、今日の争いも生れてくるのであって、現在正しいからといって、現在正しい方が全面的に正しく、現在悪い方が全面的に悪いとはいえないのです。
また、主義や主張にしても、その主義主張が表面的には国を汚し、人類を乱すように思われるこ とでも、実は国や人類の業想念を奇麗にするための大掃除による、種々のほこりが立っている姿かも知れないのです。
人類が神の子の真実の姿を現わすためには、どうしても、浄めが必要なので、人類の大浄化作用のために、現在は、各種の面妖な思想や、行動が起っているのであります。
そうした間違った思想や行動をみますと、正しい心の人々は、つい腹立たしくなるのでありましょうが、そこで腹を立てたり、争いの想いを起こしたりしたら、その人自身も、神のみ心から離れていることになります。そこで私は、すべての想念を先ず、世界平和の祈りの中に入れて、そこから自分の想念行為を頂き直して、生活してゆきなさい、と人々にすすめているのであります。大事な大事な平和の心を養う最大の方法は、やはり世界平和の祈りを根底にして生きる生活方法よりないのです。老子の一見むずかしそうな教えも、平和の祈りの中から行じる習慣をつけますと、意外な程易しく実行できるようになるのです。
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