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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 果因説 - 意識の転換で未来は変わる

神人の聖域― 原因結果の法則と果因説
Page:3/5

神人になるための切磋琢磨
何度も繰り返しますが、日頃の自分の想いがいかに大切か、それに尽きるのです。日頃何を想い、何を考え、何を為すかがいかに重要であるかが問われてくるのです。我々の人生は、自らの日頃の習慣の想いによって創り上げられているのです。
そのためにも真理に日覚めた神人は自らの過去世からの古い否定的な習慣の想いを徹底的に覆し、光に変容するよう求められているのです。
人生はすべて心から、想いから芽生えてゆきます。心の中に、想いの中に否定的な想念が芽生えなければ、決して悪い人生など現われることはないのです。そして神人の想念行為は美しい高貴な花を咲かせ、その結果、喜びや感謝、平安、至福のような最高の果実がもたらされてくるのです。さらには上徳の種を子孫に蒔いてゆくのであります。
故に、私は世界人類が一人でも多く神縁に結ばれることを望まずにはいられません。本人自身のためにも、ひいては世界平和のためにも。
神人になると、常に心清く気高い想いの人々ばかりと神縁が結ばれてゆくので、お互いに平安と祝福と歓喜のみの人生、即ち高次元意識の世界で生きることが出来るのです。
本来、人類の誰しもが心の中で思い描くこと、望むことは、「すべての人類は本来、善人である」ということです。正しい人間、真実なる人間、立派な人間、気高い人間像です。が、そのように思うこと、願うことは出来ても、実現が伴うことはなかなか難しいものです(無限なる可能性!)。
神人のように崇高な方々も、初めから気高く、清く、美しく、皆から愛され、尊敬されていたのではありません(中にはそのような方も存在していましたが)。最初は普通一般の人たちと何ら変わらない常識人であり、一般的な善人でした。
そして一般的な善人といえども決して完全ではありません。誰もがそうであるように、怒ったり、嘆いたり、人を批判したり、時には人に親切にしたり、人を助けてあげたり、人の面倒を見たり、一方で自分の非を認めたくなかったり、素直に謝れなかったり、ウソをついたり、ごまかしたり、限りなく楽をして生きようなどと、玉石混淆の想いを抱いているものです。
要するに、神人といえども初めから高貴にして愛深く、叡智に富み、直観力に秀でていたわけでは決してないのです。初めは一般の常識人と何ら変わりはありませんでした。現在の神人のような、崇高にして神々のような神性を発揮してはいませんでした。そして自らの輝かしい人生を創造してゆくまでには至っていませんでした。
そのために、目に見えない種々さまざまな疑いや迷いを決定的に払拭し、限りなくポジティブな思考に転じてゆくための不屈の精神力、忍耐力、努力が必要不可欠であったのです。来る日も来る日も繰り返し繰り返し念ずるように祈り込んでゆく光明精神が……。
神人の聖域に達するまでのプロセスは、決して直接の神からの贈り物でもなければ他からの助けでもありません。究極的には、真理そのものを徹底的に理解するために一つ一つの真理を丁寧に根気強く学んできたということです。しかも学んだだけでは不充分なのです。真理そのものを自分のものとし、自らの想念行為に現わし、実行してゆかねばならないのです。それは神人たちの心の中へ、魂の中へ、繰り返し繰り返し刻みつづけられた究極の真理の結晶です。それは同時に、自らの心の中に積み上げられてゆく、気高く崇高な想いの数々でもあります。愛深い自分であれ。叡智、直観力溢れる自分であれ。無限なる可能性、能力に富む自分であれ。神の無限なる光、パワー、エネルギーを自分の器を通して世に放つ自分であれ。世の人々が自分を見て「吾は神を見たる」と思わず思わせるほどの清く正しく聖なる自分であれ……。


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