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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 天と地をつなぐ者

少年期、 (一)
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私は大正五年十一月二十二日午後五時から六時の間に、東京の浅草で生まれた。
父は越後長岡藩の武士の息子で、つねに士族五井満二郎とわざわざ士族の肩書をつけた表札を出していた。
東京で一旗あげようと、十五六才で故郷を飛び出してきたものの、生まれながらの病弱と子沢山に、一生を心に染まぬ勤めに朽ちてしまった。そのせめての誇りが士族出身であるという身分証明にあったらしい。
母きくは東京生まれの商人の娘で、男勝りの豪気さに病弱の夫をささえながら、九児を産み、そのうち二人の娘と六人の男児を育て上げてきたもので、家で髪結いをやったり、駄菓子屋をやったりしていたのを、私は子供心によくおぼえている。
「決して人にお金を借りてはいけないよ。どんなことがあっても自分の力でやりぬくのだよ」と、母は口ぐせのように私たちにいいきかせていたが、その言葉通り、どんなに生活に困っても、一銭の借財もしなかったことが母の最もなる誇りであった。しかしそのため長兄だけが親の金で学校にゆき、あとの子供たちはみな苦学で学校を出たのであるが、子供たちは誰れも親をうとんじはしなかった。眠る時間さえもさいて働きつづけていた母の労苦を眼のあたりみて生活してきたからである。
私は幼少から父ゆずりの病身で、はたして成人することができるかとしばしば医師に首をひねられながら育ってきた少年であった。
学校での体格検査にはつねに腺病質の見本のように医師や先生方が私の体を指さし眺めながら、この子が肺病にならなければ医学の不思議であるというようなつぶやきをかわしていたのを、恐ろしいとも苦しいともいいようのない気持で黙って聞いていたものであった。そのためか、私は人前で裸になるのを極端に嫌い風呂屋へゆくのを非常に嫌がったとともに、私は大人になるかならぬうちに肺病か胃腸病になって死ぬに違いないと自分の体に諦めを抱きはじめ、いつしか死ということに重大な関心を持ちだした。それが私の哲学心、宗教心への第一歩であったと思われる。
そうした肉体への不信感にありながら、私の心の底には体と反対に陽気なものがひそんでいて母や兄弟たちの前で、よく剽軽(ひょうきん)な踊りを踊ったりした。自分が馬鹿にされても、親兄弟が陽気になってくれることが楽しかったのである。


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